私、日々の思いを綴る…

このブログでは、私が、日々の思いを綴っていこうと思います。

早生まれの君へ

ご訪問いただきありがとうございます。


今週は息子の誕生日がありました。
今回は息子について綴ります。


息子は、小学生になってから
早生まれを嫌がるようになりました。
息子は3月27日生まれで、
誕生日は毎年必ず春休みに入っています。
誕生日にお友達に会えることはありません。


それどころか、1歳の誕生日は渡米引越後、2歳は帰国の準備中、3歳は秋田県への引越、6歳は青森県への引越、8歳の誕生日は県内異動の引越と…
誕生日は引越日でした。


誕生日前後は、引越用に荷造りされ積まれた段ボール箱に囲まれて誕生日を迎えます。

8歳の誕生日当日は、
引越の荷物を出して、転居先に移動して、その市内のホテルで、下のコンビニで買ったカットケーキでお祝いしました。


転勤族の家庭の年度末は引越に追われ、
ちゃんとしたお祝いをしてあげられない年も多く、そんな年は申し訳なく思います。


特にここ2〜3年は、
新型コロナウイルスに対しての各家庭の衛生観念や危機管理を配慮して、
お友達を自宅に誘うのも難しくなっています。
お友達と誕生会をしたのは、
年長の年が最後になります。


幼稚園卒園から小学校入学の転居を機に、
引越を嫌がるようになりました。
「もう引越をしたくない」
と、年度末でもないのに
確認するようにいつも言います。


小学生になったら、
中学受験もあるしもう転校させない
と決めていたのに、
母親の私の病気治療のために転居することになりました。
これまでのように「引越したくない」と訴えるのかと思ったら、
我が家の状況を把握し引越を受け入れ、
嫌がることはありませんでした。

引越後すぐに私が入院した時も、
運動会と私の入院が重なった時も(当初の予定では入院日と重なり行けないと思っていたけど、雨天延期が重なり見に行けた)、
転校したばかりなのに
母不在の日が多くても我慢してくれました。


ですが、年度末で今年度の作品を持ち帰り、
その中の息子が描いた絵で
引越について描かれた絵があり、
泣きたいほど悲しかったことを知りました。

息子が今回の引越について触れなかったことは、
息子なりの理解と我慢だったんだ…
成長を感じました。


幼少期を振り返ると、
同じ学年で約1年成長に開きがあり、
乳児期や幼児期は特に
全てのことに対して
出来るようになるまで時間がかかりました。

乳児期のアメリカ生活もあって、
日本での生活に慣れるまでに
きっと相当頑張っただろうと思います。


今でも忘れられないのですが、

帰国してすぐ入園した幼稚園で、
日本語がわからないし話せない息子は
感情を行動で表現していました。

ある日、
幼稚園の先生より、
息子の手を叩いて注意して申し訳ありません
と謝罪されたことがありました。
お友達のブロックを借りたかった息子、
お友達が遊んでいる途中で取ったとか…

正直、一瞬、
(息子の手を叩いた?)と思ったのですが、
あの時の申し訳なさそうな泣きそうな先生の顔を今でも忘れられません。
そうしなければ伝わらなかった先生の気持ちを思うと、
先生に謝罪の感情を抱かせてしまったことに
申し訳ないことをしたと感じました。
そして、
息子の話す英語を
先生自ら勉強し日本語で教えてくれたりと
理解しようと努力してくださいました。

私達家族が帰国してから
私は復職を考えたのですが、
母親として、
息子に何かを、何でもしよう、
安定した日本での生活を整えよう、
復職はその後でもいい、
と考えが変わりました。

先生にばかり苦労をかけてはいけない、

バス登園でしたが
帰りはいつも迎えに行き、
その日の息子の様子を聞き、情報共有していました。

息子の担任には、何があっても諦めずに
息子の成長に携わってくれたことに
心から感謝しています。

あの時の一連の感情を
6年経った今でも鮮明に覚えています。


あの幼児期も、
その後の小学生になってからも
息子は、いつも
息子なりの最大限の努力をしてくれています。
常に成長する姿をを見せてくれます。


そんな息子の成長を
備忘録として残しておきたくなりました。


9年前息子が産まれ、
私は世界で1番幸せな母になりました。
これまで私がやってきた全てのこと中で、
息子の母であることが私の誇りです。
息子は、私の人生の最高の贈り物です。


読んでいただき、ありがとうございました。